Top Page Index

NG! 巻頭言 震災edition

NG!さんとこの巻頭言の勝手にバックアップです。本家で保存するようになったのでそろそろ御役御免かな。

11.21日

11月分も別ページにまとめました。最近は毎晩11時以降に揺れがある模様。相変わらず「ガツッ」という衝撃タイプであるものの、一撃でおさまるとか。内閣府11.19の発表では本震以来791回も揺られてるとのこと。主宰が長岡にいたときは666回という数字に「おお!」と思った記憶があるので、最初の2週で666回、次の2週で125回という計算。イイ減りっぷりではないかと。でも、今なお避難所生活中の読者さんもあり…(special thanks "さかまきでございます"さん)。

私の家は、市内の避難勧告地域にあります。
そのため、家自体は、壁が2,3カ所はずれて、ほとんどの漆喰がはがれ、瓦が4、5枚はずれ、水道管がとれて、風呂の床が抜けて、元々傾いていた家が、さらにもう1〜2度傾いた程度で済んだんですが、避難勧告に従い、近所の避難所へ避難しました。

しかし、避難所暮らしというのは、やっぱり大変なんですね。
最初のうちは、三食ともコンビニおむすび、時には仕出し弁当の時もありました。
宮城のボランティアの人がそばを作ってくれたこともあって、新聞に載ったみたいですが、そのとき、私の母の隣にいたおばちゃんたちを写していったらしく、「新聞に載り損ねた」と、母が悔しがっていましたっけ。

最近は、三食が自衛隊の炊き出しです。
ご飯とみそ汁、あとはそのとき次第。
といっても、きんぴらゴボウか、ウインナーか、牛丼のことがあったり、汁物をかねて、おでんのこともありました。
一汁一菜ならぬ、一汁半菜。ちょっとかなしい、かも。
それでも、三食食べられるし、救援物資のパン(長期保存可能なやつ、です)とか、ジュースとか、おやつはたくさんあります。
新聞も、朝日、読売、新潟日報、スポーツ報知、長岡新聞に、赤旗まであります。
読売と日報は、夕刊もきます。新潟では、読売の夕刊は販売していないはずなんですがね。
ボランティアには、いろんな人がきてくれます。
共産党は真っ先に飛んできました。
様々な病院の医療チームも避難所を巡回してくれています。
残念ながら、避難所で風邪がはやっています。母も診てもらって、ただで薬をもらっていました。
避難所の体育館には畳がひいてあります。宮城県からの贈り物です。
風呂もあります。自衛隊のテントもあります。
NHKはテレビをおいていきました。エフエム新潟は「パパラビジョン」なる、FM文字多重放送掲示板を設置しています。
無料電話が5台、無料の携帯充電器もあります。
ちなみに、Docomo専用なので、auを使っている私には、関係ないことですが・・・。
ほかにも、当面の生活に必要な物資は、冗談抜きで、腐るほどあります。

ですが・・・

夜になると、ほかの避難者のいびきの大合唱です。
そして、せき込む声が重なります。
普段、ベットで寝ているものに、せんべい布団は堪えます。
そろそろ、帰りたくなりました・・・

ところで、新潟では、ラジオが震災情報を伝える上で大活躍しています。
NHKは、震災後しばらくの間、ラジオ第一放送とFM放送で、同じラジオ第一放送の内容を流していましたし、小千谷、川口地区では、臨時のFM放送でラジオ第一の放送を流しています。
長岡のコミュニティFM FMながおかでは、臨時災害放送として、普段20Wの出力を50Wにあげて、長岡市および周辺市町村に向けて災害情報を流しています。
十日町市では、FM雪国の協力で、市役所が臨時FM放送局を開局して、情報を流しているそうです。
停電時、テレビは映らないけど、ラジオは聴くことができます。
そのことを改めて感じる出来事でした。

ラジオは東京でもいまだ品薄です。売り場には「新潟中越地震の影響で…」という張り紙。長岡市防災ページを見ると、本日9時現在で長岡市内21箇所の避難所に1117人の方々が。主宰宅は避難所に5泊しましたが、その時点ですでに風邪蔓延状態だったそうです。みんなカリカリしてケンカ多発だったそうですし。ほんと、体育館をオープンのまま使うという避難所設営の方法はどうにかならないものでしょうか。広域避難所に指定されている体育館は、「人が長期間暮らすことがある」ということを前提に、エアコンつけたり断熱材入れたりパーテーション用意したりっていう改修の動きが出ないものかなあ。普段使う生徒さんたちも、寒い/暑いなか体育やらなくて済むし。

11.20土

長くなってきたので10月分を別ページに。こんなに長期に渡る大災害になるとは正直思っていませんでした。23日の夜は、明日にはみんな家に帰れて「ごーぎらったねえ」とか言いながら壊れ物を片付け…なんてことを考えていたような気がするなあ。。。

01:10.23土本震の日| 02:10.24日一夜明けて| 03:10.25月模索| 04:10.26火信越本線・復旧| 05:10.27水大余震| 06:10.28木ガスキター!| 07:10.29金明日はナガオカ| 08:10.30土FLY ME TO THE HOME| 09:10.31日滞在2日目にしてもう今まで体験した地震数を超えた気が| 10:11.01月ドーン| 11:11.02火ジャングルでもないのになぜ迷彩服なのだろう?| 12:11.03水NG!的被害状況| 13:11.04木新潟-長岡間 新幹線再開!…すぐ不通| 14:11.05金ナガオカ駅グレイト| 15:11.06土「片付け」ってのはかなり重力に逆らう行為だったんですね| 16:11.07日復路| 17:11.08月いつまで経っても「一ヶ月」| 18:11.09火遅ればせながら| 19:11.10水とき325号救出再開| 20:11.11木じょうめん| 21:11.12金東京は遠いですかと聞かれたら| 22:11.13土どっちだ!| 23:11.14日遠距離被災| 24:11.15月耐雪と耐震| 25:11.16火「じょうめん」続報と壁固定の副作用| 26:11.17水最後の乗客| 27:11.18木無事の便り| 28:11.19金新幹線12.28!?|