Top Page Index About Link Mail Form

中越地震発生時

2004年10月23日に起きた新潟県中越地震で、発生した時の自分の行動をメモしておきます。
※この文章中の「アパート」は長岡市にあります。


その瞬間

 夕方のテレビニュースを見終り、そのまま惰性で適当にチャンネルを変えたりしてぼーっとベッドに寝そべっていた。すると突然激しい揺れに見舞われた。その瞬間、なぜか「ついに来たか」と思ったことを憶えている。テレビは柵からベッドに落ち、本棚は倒れて本をばらまき、停電で真っ暗になった。最初の激しい揺れは 10秒程度ではないかと思うがはっきりしない。オンボロアパートなので倒れるのではとも考えたが、不思議と恐怖感はあまり無かった。正常性バイアスというヤツかもしれない。これが過ぎると逃げ遅れることがある。実際、二度目の揺れの時点でもまだ部屋にいたので、その時点でアパートが倒壊したとすればそのまま生き埋めである。幸い、潰れることは無かったが。

 最初の揺れが小さくなった時点でライトを探し始める。足元は本で埋めつくされているのでゆっくりパソコンラックに向かう。その柵にいつも懐中電灯を置いてあるのだが、激しい揺れで柵のものが一切合財落ちてしまい、懐中電灯が見つからない。床に散乱したものを手探りで探す。1分近くも探していたかもしれない。PHSが見つかった。これのバックライトであたりを照らすと工具袋が見つかった。この中にマグライト(パチモン)があるのでそれを確保。今度はそれを使って懐中電灯を探す。少しして発見。

 余震でアパートが倒壊する可能性を考えればその時点で屋外へ出るべきだろうが、その時は余震など考えていなかった。懐中電灯が見つかって余裕も出てきたのでパソコンの方へ行く。無停電電源が停電直後からアラームを鳴らしっぱなしだったのだ。パソコン本体は柵から手前に落ちたが、ケーブルはつながったままでバンジージャンプ状態。そのまま稼働していた。それを柵に戻し、終了処理……と思ったのだが、マウスがコードごと落下物に埋もれてわからない。緊急時でもあるし、電源ボタンを押して半強制的に止めた。

 小さな揺れはまだ続いていた。この地震では停電はしばらく復旧しないと判断し、栃尾の実家に行くことにした。デイパックを出して必要そうなものを探してつめた。ラジオ、電池、貯金通帳、保険証、その辺にあったお菓子とバナナ、リンゴ、車と部屋の鍵。念の為、押し入れから寝袋。

 そんなことをやっている最中に二度目の大きな揺れが来た。そのまましゃがんでやりすごす。やっぱりあまり恐怖感は無かった。最初の揺れで大丈夫だったのだから、このアパートは倒れないという、あまり根拠の無い確信があったようだ。でも、後になって考えると最初より大きな揺れが後に来ることもあるし、最初の揺れで建物が弱っている可能性もあるわけで、あまり正常な判断とは言えないかも。

 友人から PHSに通話あり。DDIポケット同士なので比較的かかりやすかったようだ。栃尾の実家に行くことと、ついでに友人達にメールで生きていることを流してくれと伝える。

 室内用ではあるが上衣を着ていたのでそのままの格好でデイパックをしょって外へ。(←余裕があるなら厚着をするべきだろう。やはりどこか抜けている。)ブレーカーを落し、留守中に人が来たときの為にその辺にあった紙にマジックで「栃尾の実家に戻ります 川上 (実家の電話番号)」と書いてドアに貼りつけた。そして鍵をかけて車へ。

 今改めてこれを書いてるとあの揺れの直後によくこれだけやってるなと自分でも感心するのだが、くりかえすが余震でつぶれる可能性もあったわけで、冷静な行動というのも場合によっては命取りかもしれない。

栃尾の実家へ

 車に乗り込んだ。始動したらラジオをつける……と、今なら考えるが、なぜかその時点ではそのことが思い浮かばなかった。部屋ではいろいろ余計すぎるくらいにやってるのに不思議だ。やっぱり正常な状態ではなかったのかもしれない。

 停電で信号がつかないのでゆっくり運転。前で車がつかえている。何か路上のものを避けているようだ。なんと、垂れ下がって来た電線があった。こりゃしばらく電気はこないなと思ったり、激しい揺れを再認識したり。

 バイパスに出た。スピードアップ……しようと思ったがなぜかどの車もかなりゆっくり走っている。急ぎたいので追い越して行ったらガツン!とショックを受けた。路面に所々数cm程度の段差ができていたのだ。なるほど、このせいか。それ以降、路面に注意しながら走行するようになる。

 走行中に三度目の揺れが来たらしく、激しくハンドルをとられたが、大事無し。そのまま走行を続ける。(本当は停止して揺れが収まるまで待つべき。)

 栃尾への道は新榎トンネル方面が通行止だったので浦瀬方面へ。渋滞。橋と道路の境に段差ができていたりマンホールが飛びだしたり、路面が陥没した場所もあった。墓石や自動販売機が倒れていた。住民の方が多数外に出ていた。これから寒くなるのにじいちゃん、ばあちゃんも大変だ。再び友人と PHSで通話。PHSで2度話したのだが、両方とも通話時間 29秒で切れた。災害時の通話制限だろうか。ラジオをつける。

 いつもの倍くらい時間がかかったが栃尾の町へ。あっさり電気がついている。路面の凸凹も特に見当たらない。大丈夫そうだなあ。揺れのせいで街路樹のイチョウの下に銀杏が落ちていた。拾ってる場合じゃないって。

 後で西谷方面は被害が大きいということがわかったが、わたしの実家のある東谷方面は特に大きな被害は見受けられなかった。2ヶ所ばかり地面の凹凸があった程度。安心して実家へ。入り口の坂道に妹の車が停まっているのでその前に車を停めた。妹とその子供二人はその車の中に避難していた。親父とお袋も外に出ていた。家には少しひびが入っただけだけど、恐いからだそうだ。しかたないので少しつきあう。家から持ち出したパンをかじって牛乳を飲む。

 しばらく外にいた。それほど気温は低くなかったのだが、やはりいつまでも外にいて風邪をひくのもどうかと思うので家の中へ。別に停電もしていなかった(揺れの瞬間は切れたそうだ)し、長岡の方がもっと揺れて被害が大きいからこっちはまだ大丈夫と、よく考えるとあまり大丈夫じゃなさそうな気もするが、ともかく家に戻る。テレビではどこも地震のニュースをやっていた。弟も長岡で暮らしているのだが、それも帰ってきた。妹の旦那も遅くなってからこちらに来た。

 12時を過ぎてからいいかげんに寝ようということになった。すぐに外に出られるように皆一階に寝る。お袋と並んで寝るなんて子供の時以来かな。夜中にも何度か震度3〜4程度の揺れが来たが、潰れることはないだろうとそのまま頑固に寝てやった。

翌日

 テレビは件の如し。山古志村は大変なことになっている。簡単な朝食を食べ、お昼にとおにぎりを作ってもらい、長岡のアパートを見に行く。アパートはこの有り様。

 デジカメが行方不明なので PHSの内蔵カメラで撮ったものである。テレビはベッドにダイブしていたので無事だった。ただ、もしも夜中だったらあのあたりを頭にして寝ているので大変なことになっていたかも。文庫本の本棚が倒れて床一面に本をまき散らしていて足の踏み場が無い。背の高さ以上の柵などは壁に固定していたので倒れてはいないが、中身は落下しまくり。

 風呂場では浴槽が動いて煙突が外れていた。台所は、食器棚が倒れていたが、普段使う食器は流し台の中に置きっぱなしだったので無事だった。食器棚に残っていた茶碗とコップが割れた。なぜか皿は無事。食器棚の上の電子レンジも落下。扉を開けるノブが折れていたが、動作自体に問題無し。使える。食器棚のガラス戸も落ちていたが、割れていない。冷蔵庫はずれただけで倒れなかったが、停電で中にあった肉とかはパーである。

 その日は少し片付け。その最中も揺れが来たが、無視してやる。デジカメはどこに埋まったのか見つからない。停電したままだし、水も出ないのでおにぎりを食べて早々に実家に戻ることにする。アパートは外から見る限り無傷に見える。

それ以降

 その翌日再びアパートへ。電気と水道が復旧したのでそのまま居残る。ネットも使えるようになった。片付け。文庫本柵を起こして並べ直したが、27日の余震でまた倒れる。27日の余震は大きかったので実家にまた様子を見に行く。実家の被害無し。ガスは 11日1日に復旧した。直後は実家に避難したが、アパートの建物に被害は無かったし、電気水道も早々に復旧したので結局避難所には入らなかった。当初、避難所の食料が少ないとも聞いていたし。